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【特集】嘉義|「KANO」ゆかりの地
 嘉義は台湾西南部の嘉南平原北端に位置する阿里山の麓の街。市内南部を北回帰線が通過しています。
 その昔は平埔族が暮らしていた地域でしたが、清朝時代の漢化政策などによって混血がすすみました。
 日本統治時代になると、阿里山のヒノキが注目を浴び林業が栄え、嘉義大地震が起きたことで、新しい都市づくりもなされました。
 また、土地の塩分濃度が高く、他の土地に比べ収穫量が低かった嘉南平原は、八田與一によるダムによって、農業用水が確保され、台湾でも有数な穀倉地帯に。また映画「KANO」でも取り上げられた嘉義農林野球部が、松山商出身の近藤兵太郎監督指導の元、甲子園準優勝を果たして話題になるなど、旧日本統治時代から繋がりの深い土地です。

台湾地方都市の歴史を物語る「嘉義市史蹟資料館」(旧:嘉義神社)

嘉義市史蹟資料館
Photo:子毓貓 (CC) 
 嘉義市史蹟資料館の建物は、見るからに日本風。日本統治時代、台湾五大神社に数えられた嘉義神社の建物が使われています。神社の主殿は火災により全焼してしまいましたが、斎館や社務所は残り、嘉義の資料館ながらに日本統治時代の面影を色濃く残す不思議な空間となっています。
 嘉義という一地方都市の歴史に関わる展示が成されていますが、一地方の歴史の中に、先住民族に始り、オランダの進出、漢民族、日本、中華民国へと移っていた台湾の歴史の過程を見ることができます。

日本式のヒノキ造りの官舎が並ぶ「嘉義檜意森活村」

嘉義檜意森活村
Photo: Pbdragonwang (CC) 
 嘉義は阿里山の麓に位置する町。日本統治時代、阿里山に自生するヒノキが注目を浴び、林業で栄えました。阿里山鉄道の起点となる北門駅周辺は、檜町と呼ばれ、日本式の宿舎が並んでいました。
 園内は当時の街並みを再現しつつ、昔ながらの地元特産品や、めくもりある手工芸品、当時の生活の再現した紙アートなど、それぞれ独特なテーマ館のように連なっています。
 当時の様子を思い浮かべつつ、台湾と日本との繋がりも感じられる空間です。映画「KANO」でもロケ地となっています。

ひと時代前の台湾にタイムスリップ「頂菜園郷土館」

嘉義頂菜園郷土館
Photo:頂菜園 
 頂菜園郷土館は、嘉義市郊外にある1950年代の農村をイメージして作られたテーマパーク。旧式の農村器具や牛車、駄菓子屋さんに当時の自転車、園内を周遊できるバスも旧式で、当時のバス停も再現されています。
 頂菜園では、幼稚園児の見学から大学の研修も行われており、子どもから大人まで、ひと時代前の台湾の農村にタイムスリップしたような旅行が楽しめます。

夏至には太陽が真上を通る「北回帰線標塔」

嘉義北回帰線標塔
 嘉義市の南、北緯23度26分22秒に通る北回帰線の標塔。夏至には太陽が真上を通り、ここより北が亜熱帯、南が熱帯となります。
 初代の標塔は1908年に設置。現在建てられているのは1942年に建設された5代目の白い標塔(設計:千々岩助太郎)。1995年には、教育センターを兼ねた6代目の標塔太陽館も建設されています。厳密に言うと、標塔は少しずつずれていくそうで、プレートの変動によって地面が動いていることもわかります。 
 この近くには、北回帰線駅もあります。現在は廃駅となり、小さな駅舎のみが残っているだけですが、再び旅客駅として復活させる計画もあるようです。

台湾で最も名高い景勝地「阿里山」


阿里山
Photo:Michael Cannings(CC) 
 阿里山は台湾最高峰となる玉山(3952m)の西側に位置する山々の総称。日本統治時代には樹齢千年とも言われる高品質の台湾ヒノキが着目され、また高山烏龍茶の産地としても知られています。
 本来は、嘉義から阿里山森林鉄道で登っていくことができましたが、現在は一部区間が不通。公共のバスか車両を使っていくことになります。
 森林遊楽区では巨木群の遊歩道があり、台湾でもっとも著名な景勝地として知られています。最近は春の花見も人気で、阿里山での桜の見ごろは3~4月頃です。

台湾で初めて建てられた嘉義のニニ八紀念碑

嘉義のニニ八紀念碑
Photo:MK2010(CC
 日本統治が終わり、中華民国(国民党)による統治が始まって間もない頃の台湾では、大きな民主化紛争「ニニ八事件」が起きました。中華民国は軍事力で制圧。以後、蒋介石時代の台湾では戒厳令が引かれ、公の場でこの事件のことが語られることすらあり得ませんでした。
 戒厳令が解除されるのは、1987年。
 台湾で初めてニニ八事件の紀念碑が作られたのは、1989年の嘉義です。当時はまだ国民党による圧力も多く、妨害、破壊行為、またデザイナーの詹三原は完成後に1年半、投獄もされています。
 その後、基隆、台中、高雄、そして台北など、台湾各地にニニ八事件を後世に物語る紀念碑、紀念館が建てられていきました。

嘉義に行ったら絶対に見ておきたい烏山頭水庫と八田與一記念館(台南)

台南郊外観光 烏山頭ダム  戦前、先進的な大規模ダムと灌漑システムを造り上げた日本人土木設計者、八田與一。
 日本ではあまり知られていませんが、台湾では有名な人物で、未だに慰霊祭が行われ、台湾人たちも参列しています。
 この水庫(ダム)により、嘉義から台南にかけて広がる嘉南平野一帯の農業用水を確保、穀倉地帯へと変えたのです。
 烏山頭ダムのそばには、八田與一の銅像や墓、記念館も立っています。